「施設に入りたいわ」と、100円のソフトクリーム

日常のハプニング
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洗面台のブリーフ

木曜日の朝、洗面台に、父のブリーフが濡れたまま残っていた。

朝一番に、これはきつい。ややきつい…、いや結構きつい。

そっと、脱衣所の扉を閉める。

畑仕事の泥汚れだろう。

たぶん母が手洗いをして、泥と格闘して、敗北した。その残骸だろう。

母は今も、毎日働いている。主に父の世話と、自分の探し物で。

そして毎日、負けている。誰にも見えないところで。

「施設に入りたいわ」

その朝、母が言った。

「やることが多すぎて、しんどいわ。もう、私は施設のようなところに入りたい。」

「どこにいけば入れるんかな?」

冷蔵庫にデイサービスのチラシを貼ったのは、母だった。結局「お友達候補」の女性からは連絡はなかったのだと思う。話題にも上らないし、いつの間にかチラシは外されていた。

私は答えた。

「まずは要介護認定を取ることじゃな。先生が、次の検査の希望があれば紹介状を書くゆうてたやろ」

母は、無言で去っていった。

ごまかさずに、大人への返事をしたつもりだった。でも、母の中でぼんやりした避難所だった「施設」が、手続きと診断のある現実に変わった瞬間だったのだと思う。

助けてほしい。でも、進んでほしくない。

その二つの気持ちは、たぶん同時に存在している。

母は、準備万端で待っていた

この日はかかりつけ医の受診日だった。

出かける時間になると、母は準備万端で待っていた。

予定の出発時刻の30分前には、すぐに出かけられる用意をして台所の自分の席に座って待っていた。

進むのが怖い人は、支度をしない。言葉では答えなかったけれど、母はちゃんと支度をして、待っていた。

そして診察室に、母は一人で入っていった。

「一緒に入って」と言われなかったから、私は待合室にいた。

朝に「施設に入りたい」と弱音を吐いた人が、娘に付き添いを頼まず、一人で先生と向き合うほうを選んだ。

母が怖いのは、しんどさそのものより、「自分のことを、自分で決められなくなること」なのだと思う。

だからこの日、母は「決められる自分」を確認しに行ったのかもしれない。

一包化と、100円のソフトクリーム

結局、診察は3分もかからず、診察室から母が出てきた。

診察のあと、薬局で薬を一包化してもらった。

思えば、このシリーズの第1話は「薬の一包化をお願いしに行っただけの日」だった。あの日、母は認知機能テストを受けて、20点だった。記録はそこから始まった。

あれから3ヶ月。一包化は、もう当たり前の日常になっている。

帰り道、二人で、一個100円のソフトクリームを食べた。

ここのところ、母とは挨拶程度の日が続いていた。作り置きの料理に嫌味を言われた日から、なんとなく、口数が減っていた。

その母と娘が、外は暑いからと、軽自動車の運転席と、後部座席で、ボブスレイみたいに並んで、溶けてくるソフトクリームで手を汚す母にティッシュを渡したりしながら、「美味しいね」と会話を挟みつつ食べた。

私たちは、たった100円で、幸せになれるのに。

2万円だけ、受け取った

その後、母は銀行のATMでお金をおろした。

最初は「20万おろす」と言った。多すぎると止めて、半分になった。

そして母は、私に4万円を渡そうとしてきた。

私は、2万円だけ受け取った。家のものと、母の買い物に使う予定にしている。

全部断れば、母はまたムキになって渡そうとするだろう。全部受け取る訳にもいかない。

母にとって「娘にお金を渡す」は、罪悪感の裏返しなのだ。

だから半分だけ受け取って、母の「メンツ」を守ってあげた。

時には母の顔も立ててやらないと、やり取りが面倒くさいから。

揺れながら、進む

「家に帰りたい」と繰り返す人を、私は仕事で何人も見てきた。

だから、施設に入れば楽になる、と簡単には思えない。認知症のしんどさは、場所を変えても消えない。

それでも、と思う。

「どこなら母が苦しまないか」という問いには、たぶん答えがない。

「どの組み合わせなら、この家全体が持ちこたえられるか」という問いには、まだ選択肢があるような気がする。

要介護認定の話は、まだ先生に届いていない。母は揺れている。私も揺れている。

でもこの日、母は診察室に一人で入った。まだ「自分で決める」の中にいる。

朝は洗面台の敗北したブリーフで始まって、昼は100円のソフトクリームで終わった。

我が家の一日は、振れ幅が大きい。

そういえば、父はこの日の夕食の後、母が席を立った後、私に聞いた。

「次の検査の予定日は、決まったんかな?」

私はありのままを伝えた。母に同席を求められなかったから、待合室で待っていた。母の診察は3分ほどで済んだから、たぶん何も決まってないと思う。

父は、「それならええ」と言った。

その言葉が、丸投げなのか、安堵なのか、よく分からないけど、少なくとも怒ってはいなかった。

父は、急いで次の検査(脳のCTやMRIなどの画像検査)の予定を取りたいとは思っていないようだ。

記録に残さないと、やっていられない。この、イライラやどうにもならない先行きの不透明さ。

ある時、ぽっかり青空が見えるような時が来るのだろうか?

いや、まだまだ序の口なのだろう。

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