お弁当の宅配を、試してみた
少し前、我が家で「お食事の宅配を頼んでもいい」という話が出た。
言い出したのは母で、父はそれに乗っかるかたちで頼んでもいいと言った。
ただ、良いと言っても父は、調べて、電話して、手配しないので、対応するのは私になる。いつもの形だ。
それでも、お試しを頼んでみた。
でも、うまくいかなかった。
結局、契約には至らなかった。
そして、わりと大きな家族喧嘩になった。
喧嘩の内容は、割愛するが、大きな喧嘩の中で、私に刺さった父の言葉がある。
「お前が、楽をしたいからじゃろうが」
「みんな通る道よ。わしらもやってきた。このくらいでなにが大変なぁ」
「わしらは、貧乏でやってきたんじゃけぇ、しょうしょう食べんでもええんよ」
この言葉が、私から一気にやる気を失わせた。
結局、私のひとりずもうで、私のやりたいことをやって一人で疲れていたのだな、と思った。
もう、頼まれてもいないことは、やらないほうが良い。
そう思ったのだ。
それから、三割で作っている
その日から、私は以前のように料理をするのをやめた。
一切やめたわけではない。
三割くらいの力で作っている。
休みの日の午前中だけ、家にある生野菜を使って副菜を作る。メインになるようなものは作らない。
仕事から帰ってからは、台所に立たない。
自分が食べたい分だけ買ってきて、一人で食べる。
それでも、食卓は回っている
三割に落としても、両親の食事は一応回っている。
ただ、寝かせてある物や冷凍してある物まで、頭が回らないらしい。
一つの皿に、私が作り置きした煮物。
千切りのキャベツ。ちくわ。シーチキンの缶。
その時あるトマトやピーマンの炒め物。
そこにハムやソーセージなどの加工肉が足される。
それが、この家の一食になっている。
レトルトカレーなどの、簡易食料もストックがあるけど、まずそれを見つけられないし、出して置いていても、どう調理すれば良いか分からない。説明文が小さすぎて読めないのと、どこを読んでいいか分からない様子がある。
目玉焼きとか作ればいいのに、とは思うけど、母の中では「料理」という行為そのものが、ほとんど死んでしまっている。ごくまれにチャンネルが合った時、ふりかけて作るタイプの具無しチャーハンが突然出てきたりして、ビックリすることもあるけど。
母は、お皿に並べることはできる
気づいたことがある。
母は、作っていない。
私が作ったものと、すぐ食べられるものを、皿に並べているだけだ。
一応、私の分も並べてくれている。
でも、私はそれを食べる気にならない。
この、質素な食事。一応、食物繊維やタンパク質などは辛うじて取れているのか?
しかし、その生活に私は合わせたくないのだ。それを是としたくない。
私の生活まで、小さな喜びすらないものになってしまう。
この食卓で、満足なのだろうか?私には分からない。
おばあさんを探した日
今日は休みだった。
朝、母の機嫌が良くて、久しぶりにちゃんと話をした。
昨日、母は家で一人で留守番をしていたという。
そうしたら、ふっと分からなくなったらしい。
おばあさんの世話をせんといけん、と思った。母の、母のことだ。
でも、家のどこにもいない。
それで母は、自分の妹と姉に電話をかけた。
「おばあさんがいないんじゃけど、あんたのところに行ったんかもしれん。行ってない?」
返ってきたのは、これだった。
「おばあさんはとっくに亡くなったじゃろ」
母は、笑いながら私にそう話した。
「まえもこんな話したなって(笑)。わたしもようわかりょうらんのよ」
「よお、考えたらおばあさんが京都まで行けるわけないよな」など言っていた。
私は、これをどう解釈したら良いかよく分からなかった。
忘れていたのは、一つだけ
母が忘れていたのは、おばあさんが亡くなったことだけだ。
近しい人が亡くなったことを忘れる。これは、いかなることか?
母親の世話をしなければ、という気持ちの方は、ちゃんと残っている。
世話をしていた頃の自分の感覚に戻っている、ということなのか。
母は、よう分かりょうらんのよ、と頻繁に言う。私には、言い訳のように聞こえる。
そのたびに言いたくなる。「そんなに何度も言ってもらわなくても、よう分かりょうらんことは、嫌というほど知ってます」
母は、もう作らない。皿に並べる。
私は、三割で作る。
この家で誰が何を担うのかは、少しずつ入れ替わっている。
気づいたときには、もう変わっている。
だから、記録しておく。
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