朝から、洗っても落ちない
父の畑仕事の服は、古くなった「一軍」だ。
一軍とは、カッターシャツのこと。
もともと作業着ではないから、泥にまみれると、汚れが落ちない。
母はそれを、手で洗い、洗濯機で回し、それでも落ちず、ハイターにつけて、また洗う。
嫌で嫌で仕方ない様子なのに、ずっと頑張っている。
でも、洗っても洗っても、きれいにならない。
だから母は、きれいな一軍のものと、洗ったけど泥汚れが落ちないものの区別がつかなくなって、同じハンガーの、同じ場所に片付けてしまう。
それを見て、父が大きな声で文句を言っていた。
父としては、一軍のカッターシャツと、くたびれて二軍に落とした作業着は、別々の場所に片付けてほしいらしい。
そんなもん、自分でやれば良いのだ。
でも、父はやらない。昭和の男は、家事をしない。それらは妻の仕事だから。
私が戻ると、父は声を控えた
私はちょうど、洗濯物を干しに、外へ出ていた。
でも、大きな声が聞こえたので、家の中に戻った。
父は私の姿を見て、少し冷静さを取り戻したのか、大声を控えた。
その場の空気は、悪かった。
でも私には、いつものことだった。
「聞いてほしい」と言われても
今までの母は、父の大きな声も、うまくかわしていた。
でも最近は、認知機能の低下のせいか、混乱したり、怖がったり、怒ったりするようになった。
今日も母は、「父がどうしてほしいのか、聞いてほしい」と、私に言ってきた。
でも私は、関わりたくなかったので、断った。
私は娘であって、夫婦関係の代役ではない。
父のあの頑固さは、直そうとしても直らないだろうが、母にも原因があるように私には思えるのだ。
二人のことは、二人にしかわからない
父は、母に甘えている。
甘えているという言葉が適しているかわからないが、父の中では、自分がするべきこと、妻がするべきことが、はっきりと分かれていて、それを自分がするという余白がないように思う。
そして、それが私には通用しないと、わかっている様子だ。
私は、個人としてやるべきこと、例えば、私のペットの世話を両親に頼むことはないし、自分のゴミ出しや洗濯、掃除などの生活の全般をすることを、母が元気なときから手渡さず私がやってきた。
実家に住ませてもらっているが、最初から自分のことで、母に頼むようなことはなかった。
そういった姿勢を見せることで、父に弱みを見せないようにして「あんなにしてやったのに」とか、「お母さんに色々してもらっといて」のようなことを言わせない説得力があるし、納得がいかないことには声を出すようにしてきた。
だから私には、そういう要求をしてこない。
父の考えで面白かったのが、一人暮らしの弟が、短期入院をすることになったことがあった。予定を立てた検査入院だったため、病気で倒れているなどということはなく、入院準備は自分でできる状態だった。なのに、父は母に「入院の準備を手伝いに行ってやらんといけまぁが」と言っていた。それを聞いた私は、「え? 自分の入院の準備くらい自分でできるでしょう?私は出来るよ」と思わず言った。父は、黙ってしまった。父の中では、入院の準備は女性がするものらしい。笑ってしまう。もっとおかしいのが、母もそう言われて、行かんといけん、という気に半分なっていたところだ。一体いつまで面倒見たいのか?
母は、気の毒だと思う。
でも、結婚して50年近い二人の、阿吽の呼吸は、私にはわからない。
本当に嫌なら、どうしてそんなに長く、一緒に生きてきたのだろう。
まぁ、二人のことは、二人にしかわからない。
最低限だけして、自室にこもった
だから今日は、決めた。
家のことは最低限だけにして、あとは自分のために時間を使う、と。
風呂掃除と、トイレ掃除と、洗濯。
それだけして、私は自室にこもった。
撮りためていたバラエティ番組を、一気見した。
AIを使って、ブログの見直しもした。
家の中で何かが起きるたびに反応していたら、私の時間は、ずっと誰かのものになる。
それでは、私もしんどいのだ。
父は「自分で管理する」と言ったらしい
父は、昼過ぎに一度、帰ってきた。
そして母に、「服は自分で管理する」と宣言したそうだ。
管理すると言っても、洗ったあとの泥汚れの落ちなかった服を、自分が決めた場所に戻すだけだろうが。
時間が経って父も、頭が冷えたのだろう。
朝、あんなに大きな声を出していたのに。
まぁ、それでいい。
荷物が、一つ減った。
それでも、ぐるぐるする
午後二時ごろ、母が「ちょっと出かけてくる」と言いに来た。
一瞬身構える。この猛暑の中を歩くのは、命に関わる。
どこに行くのか?歩いていくのか?という問いに、ふて腐れたように答える。
歩いて二十分ほどの店へ行くつもりだ、姉に車を出してもらうよう頼んだ、と。
朝のことで、寄り添った対応をしなかった私への怒りが、まだ収まっていない様子だった。
こういう時に姉が、ひょっこり現れる。
母が助けを求めるのだろう。
私は、うまいこと恩を売られているように感じて、そう思う自分にも、少し嫌な気持ちになる。
でも、考え直す。
姉が来ることは、母の気分転換になっている部分も、大きいのだと。
これを、もう何回も繰り返している。
それなのに、相変わらず、ぐるぐるする。
人間って、愚かだな。
それとも、私がやっぱり、母に固執しすぎているのだろうか。
母が、台所に立った
姉との買い物から帰ってくると、母は久しぶりに、台所に立って料理をしていた。
出かけたこと、姉と会ったことで、心が少し、以前の自分に戻ったのだろうか。
母の作ったものを見ると、野菜炒めだ。
冷蔵庫に鮭の切り身が入っていた。鮭を焼けば、それだけで一品になるのに。
何かを切って、何かと合わせて、炒める。
それが、母の中の「料理」になっているのだろうか。
今日は、家にある野菜が、全部入っていた。
オクラ、ナス、玉ねぎ、にんじん、そしてベーコン。
味付けは、塩こしょう。
食べられなくはないけれど、特別おいしくもない。
母はもともと、料理が好きではない。
栄養があって手早く済ませれば、それでいい、という人だ。
合理的、とも言える。
それでも、私は7品作った
でも私は、その「ただ炒めただけの料理」に、少しがっかりしてしまう。
どうせ食べるなら、おいしく作って、おいしく食べたい。
自分の好みの味で、食べたい。
作ってもらったものに文句を言うなんて、言語道断だとは思う。
でも、やっぱり、美味しいほうがいい。
結局、母の料理のあとで、私はまた作った。
ひじきの煮物、ゴーヤーチャンプルー、にんじんしりしり、きゅうりの漬物、そうめん、オクラのポン酢かけ、ピーマンの味噌佃煮。
母はいつも言う。
「そんなに頑張らんでいい」
「そんなにしたら、疲れるじゃろ」
まぁ、心配が半分、嫌味が半分だろう。
母から見たら、私のほうが、嫌味っぽく見えているのかもしれない。
でも私は、ただ、自分がおいしいものを食べたいだけ。
父も母も、その恩恵に、あやかっているだけだ。
だから、私のことは、ほっておいていいのに。
自分のことは自分で出来る、今は。
その後の話
夕飯時、母はまだ機嫌が悪そうだった。
しかし、私がお風呂から上がる頃には、二人は、地域の健康教室のどれに行くか、相談していた。
朝、あんなに揉めていたのに。
私が一日かけて抱えた、あのもやもやは、なんだったんだろう。
そんなもんなんよな。
やれやれ。
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