親に買い物を任せてみることにした話

日常のハプニング

買い物はこちらでします、と宣言される

📖 前回の記事:4,500円を母に請求した日のこと
この記事は、上の話の続きです。

先日、父が毎日飲んでいる200mlの紙パック牛乳をインターネットでまとめ買いしました。

特に深く考えずに代金の話をすると、母から返ってきたのは、

「お父さんが飲む牛乳だから、お父さんに請求して」

という言葉でした。

牛乳代そのものは大した金額ではありません。

でも、そのやり取りをきっかけに、私は家の生活費について話をしてみることにしました。

実はここ3か月ほど家計簿をつけていて、食費と日用品で毎月約7万5千円かかっていることが分かっていました。

そこで、

「買い物用のお財布を作って、そこに一定額を入れておいてほしい」

と提案しました。

ところが、その後父と母で話し合った結果は予想外のものでした。

「これからは週に2回、自分たちで買い物に行く」

という結論になったのです。

正直なところ、私は心の中でこう思いました。

「できるわけがない」

と。

買い物というのは、お店へ行くことではありません。

冷蔵庫の在庫を把握し、何が足りないかを考え、価格を比較し、必要な量を予測しながら購入する。

そして、それを予算の範囲内で続ける。

目立たないけれど、かなり多くの判断が必要な作業です。

特に母は最近、少しずつ物忘れが増えてきました。

何をしようとしていたか分からなくなったり、途中で混乱したりすることもあります。

だから私は、買い物全体を担うことは難しいだろうと思っています。

父の言葉が少し気になった

話をしている中で、父はこう言いました。

「何かしら家事を担わせないと、ボケが進行する」

私はその考え自体は間違っていないと思います。

役割を持つことや、自分で考えて行動することは大切です。

ただ、その役割が本人の能力に合っているかは別問題です。

できないことを任せれば自信を失うかもしれません。

逆に、何も任せなければできることまで失われてしまうかもしれません。

だからこそ難しい。

そして私は、その時ふと疑問に思いました。

父は「週に2回お母さんを連れて行く」と言いました。

でも、それはどういう意味なのだろう。

父は母と一緒に店内を回り、

「何が必要か」

「何が足りないか」

を考えながら買い物をするつもりなのだろうか。

それとも、

母が選ぶのを見守り、自分は自分の欲しいものを見て回るつもりなのだろうか。

その場で聞こうかとも思いました。

でも、きっと険悪な雰囲気になったでしょう。

だから私は何も言いませんでした。

今は、答えを聞くより、実際の行動を見た方が分かる気がしています。

スポンジから見えたこと

もう一つ、今回の話し合いで意外な発見がありました。

父には右手首の腱鞘炎があります。

半年ほど前から、母に言われて自分の使った食器だけは洗うようになりました。


私が記憶する限り、父がそれまで洗い物をしている姿は見たことがありませんでした。しかし、ここ半年は続けています。なかなか、洗い物を始めなかったり、始めたと思ったら、異常に時間をかけて洗い、こちらは流しを使いたくてもなかなか使えない状況になりますが、とにかく続けてはいます。

78歳の頑張りを見守るしかありません。

我が家では、私は片面が硬いスポンジを好んで使っています。

母はネットに入った柔らかいスポンジが好きです。

すると父が、

「その硬いスポンジは手首が痛くて使えない」

と言ったのです。

私は驚きました。

半年も前から皿洗いをしていたのに、その話を初めて聞いたからです。

正直、

「それならもっと早く言ってくれればいいのに」

と思いました。

でも同時に、別のことも考えました。

もし父が本当に困っているなら、次の買い物で柔らかいスポンジを買うのでしょうか。

あるいは母に伝えるのでしょうか。

それとも、痛いまま我慢を続けるのでしょうか。

これはスポンジの話ではありません。

生活の中で困りごとが発生した時、それを解決するために行動できるかという話です。

私はしばらく口を出さない

実は途中で、買い物リストを作って渡そうかとも考えました。

でもやめました。

リストを作るということは、

何が必要かを考え、

在庫を確認し、

献立を予測し、

不足を把握するということです。

つまり、家事管理の一番大事な部分を私が引き受けることになります。

もし途中で足りないものを私が黙って買い足せば、

ごく自然に生活は回るでしょう。

でも、それでは何が難しくて、どこで困るのかが見えなくなります。

だから今回は、できるだけ手を出さずに見守ってみようと思います。

うまくいくかもしれません。

途中で頓挫するかもしれません。

どちらになるかは分かりません。

ただ今回の出来事で改めて感じたのは、これは牛乳代の話ではないということです。

親がどこまで自立できるのか。

子どもはどこまで支えるべきなのか。

そして、当たり前に回っていた家事には、どれだけ多くの判断や工夫が含まれているのか。

しばらくは静かに観察してみようと思います。

もしかしたら、私自身が思っている以上にできることもあるかもしれません。

逆に、見えていなかった難しさが見えてくるかもしれません。

その結果も含めて、記録していこうと思います。

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