母が、夕食をストライキしている
私が仕事から帰宅すると、母がキッチンの椅子に、ぐったりと座っていた。
私の帰宅時間は、いつもの二人の夕食時間を1時間ほど過ぎた頃だったから、もうとっくに夕飯は終わっているだろうと思っていた。
普段、17時30分ごろにはお腹をすかせる父は、リビングで相撲を見ている。
こういう日は、母が疲れ果てて、夕食の用意をストライキしている日なのだ。
「夕食の用意」といっても、私の用意した料理を、「温めて」、「皿に盛り付ける」のが母の準備内容だ。
父はそういったことを一切しない。「しない」というより「できない」に近いと思う。電子レンジも使えないのだ。残念な父(涙)
「母、結構疲れてるな」と心の中で思った私は、特に何も言わず、さっさと夕飯の支度に取り掛かる。
そして、軽い口調で会話を始める。
疲れ果てた原因が「怒り」の場合は、取り扱い注意だからだ。
父と喧嘩したのか?それとも姉や姪とやり合ったのか?
「これは、どうしたん?誰かがくれたん?」
椅子に座る母の顔に当たりそうな位置に、折り紙や短冊を糸で一本に吊るした飾りが、電気の引き紐から垂れ下がっていた。
何気ない風を装って、私はその話題を、振ってみた。
月に一度の、教室の日だった
聞けば、今日は月に一度の、地域の教室の日だったらしい。
飾りは、その教室で作ったものだった。
それにしても、なぜよりによって、顔に当たる位置なのか。
「一番見てもらえる場所を選んだ」という推理もできる。
でも母は面倒くさがりなので、「目についた、一番取り付けやすい場所に付けた」という説のほうが濃厚な気もする。
「私の字って、けっこうきれいじゃろ?」
バラバラに並んだ文字から、正しい言葉を書くプリントも、見せてくれた。
「いいね」「凄いじゃん」と、笑顔で声をかけた。
でも、心の中は、少し複雑だった。
それは、私の職場でやっているものと、よく似たものだった。
手作業も、文字のプリントも、このようなものは、施設ではよく取り扱われている。
「職場に戻ってきた」ような感覚がした。
母は今、ああいうプログラムの、対象者の側にいるのだ。
そして母は、プリントを見せながら少し得意げに言った。
「私の字って、けっこうきれいじゃろ?」
きれいな字は、まだ母の中に住んでいる
母は昔、字がきれいだった。
最近は、読みにくい字で、カレンダーにびっしりと予定や薬の名前を書いている。
でも、今日のプリントの字は、不思議と、昔の母の字だった。
周囲の目があると、母も気を張って、集中して、きれいな字を書こうと頑張ったのだろうか。
だとしたら、きれいな字は、消えたのではない。
まだ母の中に住んでいて、張りのある場所でだけ、出てくるのだ。
ただし、その集中は、母の全財産を使う。
教室からの帰宅後は疲れはて、椅子にぐったり。料理を出して盛り付ける余力はゼロ。
きれいな字一枚の、領収書である。
そうめんは、好評だった
夕食には、昨日母が話題に出していたそうめんを、ささっと作った。
メインは、昨晩のうちに焼いておいた鮭。
最近の暑さは異常なので、そうめんは好評だった。
穏やかな夕食……で、終われば良かったのだ。
怒りの、飛び火
食後、母がイライラし始めた。
市から届いた、タクシーチケットの申請書が見当たらないという。
「お父さんが、あちこち散らかすから」
父への愚痴が始まる。しかし、それは母の思い込みなので、私が「お母さんがどこかにやったんじゃろ?」と訂正すると、その怒りが、こちらに飛び火した。
私が明日の夕食を作っている横で、母が言う。
「次々洗い物を出して、片付けんのんじゃけぇ」
私は、洗った食器を伏せて乾かしたまま、一晩置いておく派である。
拭かずに勝手に乾いて楽だし、片付けるのなんて重ねて引き出しに戻すだけじゃないか、と思っている。
だいたい、洗い物が大量に出るのは、私が頑張って料理をしているからだ。
使ったものは料理したあとすぐに洗っているし、その上、食器拭きと片付けも求めるのか!?とむっとしてしまった。
もしかして、と思った
でも、少し考えた。
母にとっては、「これはどこに片付けるのか」と、いちいち考えること自体が、負担なのかもしれない。
朝一番から、それをしなければならないことが。
私には「簡単に思えること」が、母には、あの文字の並べ替えプリントと同じくらい消耗する仕事なのかもしれない。
きれいな字に全財産が要るように、食器の住所を思い出すのにも、財産が要るのだ。
どっちも、本物である
「いいね」「凄いじゃん」と笑った夕方の私と、嫌味にむっとした夜の私。
どちらも、本物である。
母の、きれいな字と、読みにくいカレンダーの字が、どちらも本物であるように。
今日も、ぬるく、店じまいである。
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