「お母さんの進み具合は、早いと思うか」

日常のハプニング
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お盆前の、買い物ミッション

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今日は、両親の買い物の日だった。

二人だけの買い物を始めて、もう2ヶ月近くになる。

父はまだ余力がありそうだが、母はいつも、疲れ果てた顔で帰ってくる。

そして今日は、特別なミッションがあったらしい。

お盆前に、父の実家へお坊さんが来る。その準備の買い物だ。

この件に、私は一切関与していない。

毎年、父と母で用意してきた。買い物は、母の担当だった。

仏前に供えるお饅頭と果物。お坊さんに出すお茶とお菓子。手拭き、小皿、お布施の封筒。

母はいつも、面倒そうに、ブツブツ言いながら、それでもやっていた。

でも、最近はもう、覚えていられないのだろう。

父も、このお坊さんとは仲が悪い。嫌々ながら、ご先祖のためにやっている様子だ。

二人とも、やりたくないのに、やっている。

そりゃあ、ぎすぎすする。

たぶん、今までのようにできない母に、父は苛立ったのだろう。

家に帰ると、母は顔を見せず、自分の寝室に引きこもっていた。

私は深く聞かず、いつも通り、夕食を食べた。

父は、後ろめたいと口が軽くなる

先に食べ終えた父は、ニュースを見ながら、政治への不満を話していた。

父は、何か後ろめたいことがあると、口が軽くなる。

私は特にコメントせず、「うん、うん」と聞き流していた。

お金の勉強の朝ライブを聞きながら、愛犬にきゅうりをやるほうが、私には大事な時間だ。

「お母さんの進み具合は、早いと思うか」

私が食べ終わった頃だった。

父が、母の寝室の方に目をやりながら、聞いてきた。

「お母さんの進み具合は、早いと思うか」

たぶん、今まで二人でやってきたお坊さんの準備を、母はほとんどできなかったのだろう。

やっと、少し、父が現実に目を向けたのか。

そう思った。

私は、「早いかどうかは、私にはわからない」と、ゆっくり言った。

父は今、補聴器をつけている。ゆっくり話せば、大声を張り上げなくても聞こえる。

本当は、心の中で思っている。

76歳にしては、早いな、と。

でも、言わなかった。

赤いボールペンの、切り抜き

すると父は、また、新聞の切り抜きを渡してきた。

赤いボールペンで、線がびっしり引いてある。

パーキンソン病の治療が、変わってきているという内容だった。

なってしまってから処置するのではなく、予防していく技術がわかってきた。その検査方法も。

以前も父は、パーキンソン病の新薬の記事を保管していて、何かの折に見せてきた。

私は、ゆっくり目を通すふりをした。

本当は、斜め読みだ。

時間を稼ぎたかった。次に、父に何と言おうか。

父が待ちきれず、言った。

「田舎では、こんな機械がないよな」

そして、「わしも分からんようになりょうるんじゃ」と、少し笑いながら付け加えた。

自分だって同じだ、と言うように。

私が、伝えたこと

私は、言葉を切りながら、思いを伝えた。

「お父さんは、年相応の物忘れだと思うよ。卓球にも行ってるし」

「私は日々、多くの高齢の方と関わっているけど、お母さんはパーキンソンじゃないように感じる」

「お母さんのこと、仕事場の高齢者さんと変わらないと感じることがある」

「正直、私がこの家にいなくて、お父さんとお母さんの二人だけの生活だったら、もう成り立たないんじゃないかな」

「もちろん、私だけじゃない。お姉ちゃんも、休みにお母さんを買い物に連れて行ってくれてる。私と喧嘩したときなんかは、お姉ちゃんに頼ってる。弟も、帰ってきたときは外に連れ出してくれてるし。いろいろ頼る先があるのは良いことだよ」

「でも、もし、お互いに喧嘩ばかりするようになってしまったら、傷つけ合いながら、一緒には暮らせない」

「お母さんに、介護認定を受けてもらって、デイサービスに行ってもらったほうが、いいんじゃないかと思う」

父の、返事

父は、途中途中で、落ち着いた声で返事をした。

「わしらも、よぉけい介護保険を払ようるけぇな」

「そりゃあ、成り立たんと思っとる」

きょうだいが支えてくれている話を出したときは、知らなかったのか、少し嬉しそうな顔をしていた。

「支える」という言葉の重さ

とうとう父と、母のことについて冷静に話が出来る日が来た。

話の冒頭、父の口から「わしも支えていかにゃあいけん」という言葉が出た。

それは、善意だけど、現実を理解しての言葉には聞こえなかった。

むしろ、少しイラッとした。

「わしも」という言い方に、引っかかったのだ。

まるで、主になるのは娘の私で、父はそれを手伝うだけ、というような。

少し、自分に酔っているようにも聞こえた。

——でも、すぐに思い直す。

父が主になって介護なんて、できるわけがない。

それに父の中では、ちゃんと自分のすることを、やっていることになっている。

わかっている。

わかっているけど、あの「わしも」に、ほんの少しだけ、心が波立った。

ただ、それだけのことだ。

父は、自分の両親の介護の時、別々の施設に入った両親に毎日顔を見せに行き、今日は何月何日です、と耳元で大声で伝えていた。

そして、5分ほど面会して、帰っていた。

毎日面会に来るキーパーソンは、少ない。

コロナ以降、面会制限などあるから、今はそれは実現しないことかもしれない。

毎日続けることは、なかなか出来ることではない。

それが分かったうえで、私はこう思っていた。

それは、意味のあること?

寝たきりになった人に毎日会いに行き、一言二言声をかけ、5分ほどでさよならする。

本人は、どう思ってる?

分かっているのかな?

父の、やると決めたらやる精神は立派だと思うけど、私は、そうなる前に、もっと一緒に思い出を作ればよかったのに、話し合う時間を持てばよかったのに、と思っていた。

父は、当然のことをやった。

自分にできることをやったと思っているだろう。

でも、その中に、実際に介護に関わって感じる苦しみはあっただろうか?

多分、少しはあったと思う。

でも、母に対する「支えようと思う」の言葉には、今まで父がやってきた介護とは次元の違うしんどさがあるのではないかと思う。

私が、ポツポツとゆっくり話す言葉を聞いたあと、父の口から現実的な言葉は出なかった。

父の、静かに考えるターンが来たのだ。

始まりは、唐突だった。

でも、思っていたよりずっと、静かな夜だった。

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