心が死んだ日

日常のハプニング

「ああ、またか」

大げさなタイトルだと思う。

でも、その日、私は本当にそう感じた。

怒ったとか、悲しかったとかではない。

正確には違う。

「ああ、またか」

だった。

怒りというより、うんざり。

何十年も繰り返してきた話を、また最初から聞いているような気分だった。

重い空気と、母の愚痴

仕事から帰ると、家の空気が重かった。

両親が喧嘩したのだとすぐに分かった。

私はいつも通り犬の散歩に行き、夕食を食べ、翌日の食事の準備を始めた。

しばらくすると、母が愚痴を言い始めた。

親族の話だった。

昔から周囲が心配し、手をかけ続けてきた若い家族がいる。その人がまた新しい希望を口にしているらしい。

その話を聞きながら、私は強い違和感を覚えた。

本当に最後まで責任を持てるのだろうか。

また周囲が支えることになるのではないだろうか。

そんなことを考えた。

すると母は、その人をかばい始めた。

話はいつの間にか脱線し、父への不満になり、自分の過去の苦労話になった。

そして最後にこう言った。

「時には私の愚痴を聞いてくれてもいいじゃない」

その瞬間、何かが切れた。

いや、私はもう、何十回、何百回と母の愚痴を聞かされてきたのだ。

お母さんは、私の愚痴を聞いてくれたことある?

私は母に怒鳴った。

涙が止まらなかった。

「お母さんは私の愚痴を聞いてくれたことある?」

ずっと胸の奥にあった言葉だった。

たぶん何十年分も。

ずっと、役を演じてきた

思い返せば、私はずっと役を演じてきた。

幼稚園の頃は、わがままを言わないいい子。

思春期には、母に愛情を求めない自立した子。

大人になってからは、親を理解する子。

そして今は、高齢になった両親を支える娘。

その時々で、自分を納得させながら生きてきた。

そうするのが正しいと思っていた。

そうすれば、家族はうまく回ると思っていた。

でも最近思う。

それで私は何を手に入れたのだろう。

理解ある娘でいること。

我慢する娘でいること。

支える娘でいること。

その役を続ければ、何かが変わると思っていた。

でも、何も変わらなかった。

無駄だ。

そんな役目はごめんだ。

どうして私は、その中に入らないのだろう

母は悪人ではない。

困っている人を見ると放っておけない。

手のかかる人には優しい。

でも私は昔から不思議だった。

どうして私は、その「困っている人」の中に入らないのだろう。

翌日も、母は何度もやって来た

翌日は休みだった。

午前中は部屋でゆっくりしていたが、母は何度も部屋へやって来た。

「今日は仕事?」

「洗濯機空いたよ」

「もしかしたら庭の剪定に来るかも、支払うお金が足りなかったら、銀行へ連れて行って」

どれも急ぎではない話だった。

私は短く返事をしてやり過ごした。

台所に立ちながら考えたこと

午後からは作り置きをした。

ポトフ。

れんこんのきんぴら。

きゅうりとわかめの酢の物。

かぼちゃの煮物。

豚肉と豆腐の煮物。

数日分の食事を準備した。

最近は職場より家のほうが疲れることがある。

そんなことを考えながら台所に立っていた。

また、私か

その後、実家の使っていない部屋のエアコンが壊れているという話になった。

姉が様子を見に来て、帰り際に言った。

「また見てあげて」

悪気はない。

でも私は思った。

また私か。

気づけば、ずっと私がやってきた

固定電話の買い替え。

掃除機の買い替え。

エコキュートの交換。

病院の付き添い。

買い物の手伝い。

役所の手続き。

設置の立ち会い。

気づけばずっと私がやってきた。

頼まれたからだ。

必要だったからだ。

高齢の両親が使いやすくて、価格も適正なものを選んできたつもりだった。

でも、結果的にいつも母からは、「使いにくくなった」「使い方がわからん」

そう言われてきた。

良かれと思ってやっても、結局は文句を言われるだけだ。

それでも、私の役割はどんどん増えてきた。

今はもう、毎日の手伝いだけで精一杯だ。

風呂掃除。

トイレ掃除。

料理。

それでも何か問題が起きれば、自然と私の担当になる。

きょうだいは私だけではないのに。

ただ、事実を伝えただけ

その後、エアコンの修理の話になった。

母は「業者を呼ぶには、まず掃除をせんといけん」と言う。

私は「作業するスペースさえ空けておけば十分だよ」と答えた。

すると母は言った。

「じゃあ、あなたがやってよ」

それを言われた時、心がすっと冷たくなった。

「そういうのは、お姉ちゃんか弟に頼んで。私は毎日の手伝いで手一杯です」

それだけだった。

怒鳴りもしなかった。

言い争いにもならなかった。

ただ事実を伝えただけだ。

昔の私なら引き受けていたかもしれない。

文句を言いながらでも、結局やっていたかもしれない。

でも今回は違った。

終わった日ではなく、始まった日

昨日、心が死んだと思った。

本当に死んだのかどうかは分からない。

ただ、昨日までと同じ気持ちではいられなくなった。

それだけは確かだ。

もしかしたら、何かが終わった日ではなく、

何かが始まった日なのかもしれない。

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