寸志3万円が、教えてくれたこと

地方での転職活動

心がしょっぱい、初めての寸志

先日、入職して初めての一時金、いわゆる寸志をいただいた。

本来は支給対象ではなかった私にも、3万円。

思いがけないことだったので、とてもありがたかった。

……と思って給与明細を見たら、社会保険料や税金が引かれて、手取りは2万5千円弱。

もちろん、0円よりずっとありがたい。

それなのに、「3万円もらえた!」と思っていた気持ちが、「あれ?思ったより少ないな……」に変わる。

なんとも、心がしょっぱい。

そんな自分に、苦笑いした。

前の職場では

ふと、前の職場のことを思い出した。

以前は医療法人系で働いていた。

あそこでは、入職して半年も経てば、ボーナスが満額出ていた。

寸志ではなく、ボーナスだ。

給料という面で見れば、医療の世界は、介護よりも圧倒的に恵まれている。

これは、はっきりそう思う。

どちらが良い、という話ではない

ただ、お金だけで決まる話でもない。

医療には医療の、介護には介護の、それぞれの大変さと、良さがある。

仕事の内容も違う。

利用者さんや患者さんとの関わり方も違う。

拘束時間も、忙しさの種類も違う。

だから、「給料が安いから介護はだめ」という単純な話ではない。

拘束時間や働き方を考えれば、介護を選ぶのも、十分にありだと思う。

実際、私も今、そういう理由でこの仕事をしている。

でも、今の私は

その上で、正直に言いたいことがある。

今の私は、拘束時間が長いのも、給料が安いのも、激務なのも、全部お断りだ。

そうではない道を、必ず探して歩いていく。

若い頃なら、「仕方ない」と飲み込んでいたかもしれない。

でも、もう違う。

そして、最近気づいたことがある。

自分を我慢させ続けていると、どこまでが我慢なのか、その感覚が鈍ってくる。

「これくらい普通」

「みんなやってる」

そうやって、自分がすり減っていることにすら、気づかなくなる。

だから私は、線を引いていたい。

「これは無理」「これは嫌だ」と、ちゃんと感じられる自分でいたい。

労働と対価のこと

私は、労働を提供する代わりに、給料をもらっている。

お金をもらう以上、その分は一生懸命やる。

それは当然のことだと思っていた。

でも最近、ある人の話を聞いて、少し考えが変わった。

会社員は、働いてもサボっても、毎月決まった給料がもらえると思いがちだ。

でも本来、報酬というのは、生み出した売上や利益に応じて、増えたり減ったりするものらしい。

それを「会社員」という契約にすることで、一律にならしている。

入社したての、まだ会社の利益にほとんど貢献できていない人にも、契約した分は払われる。

逆に、どれだけ優秀なベテランでも、給料は青天井ではなく、ある程度の範囲に収まる。

そのおかげで、会社が不況のときでも、私たちは一定の給料をもらえている。

なるほどな、と思った。

この考え方は、経営する側に立たないと、なかなか持てない視点だ。

そう考えると、「もらっている分は働く」というのも、案外、都合のいい言い分なのかもしれない。

本当はもっと、生み出した価値で評価される世界もある。

それでも私は、与えられた仕事に対しては、手を抜きたくない。

でも、サービスをしすぎるのも、また違う。

求められた以上に尽くしすぎると、今度は自分が迷子になる。

「私は何のために、ここまでやっているんだろう」

そうなってしまっては、続かない。

だから、ちょうどいいところでありたい。

手は抜かない。

でも、自分を差し出しすぎない。

同じ水槽に、いたくない

同じような条件の職場が二つあるなら、私は少しでも給料のいい方、待遇のいい方へ移る。

そう決めている。

もちろん、職場を変えるのは簡単ではない。

これまで積み上げたものが、いったん途切れる。

新しい場所で、また一から覚え直す。

それは、正直しんどい。

歳を重ねるほど、その疲れは大きくなる。

でも、その「しんどさ」を言い訳にして、だらだらと同じ水槽に居続けたくない。

居心地が悪いと感じているのに、動かないままでいるのは、もっとしんどいから。

願わくば

寸志の3万円は、本当にありがたかった。

でも、それ以上に、いろいろなことを考えるきっかけをくれた。

そして思う。

できれば、もっと若い人たちにも、知っておいてほしい。

我慢が当たり前ではないこと。

働き方は、自分で選んでいいこと。

そういう選択ができるだけの知識を、早いうちから持っていてほしい。

私はもう若くないけれど、それでも、まだ間に合うと思っている。

これからも、自分の足で、自分の道を選んで歩いていく。

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