常識は、その場その場で変わる

仕事にまつわる気づき

― 転職3ヶ月、介護現場で感じている違和感

新しい職場で働き始めて、3か月ほど経ちました。
仕事の流れにはだいぶ慣れてきましたが、最近、ある種の「怖さ」を感じるようになりました。

それは、この職場の常識が、いつの間にか自分の「普通」になってしまうのではないかという不安です。

環境が変われば常識が変わる。
それは頭では分かっているのですが、その変化に戸惑うことも多くあります。


「忖度」という名の適応

歳を重ねると、これまでの人生や経験、学んできた環境の中で、ある程度の考え方の軸ができてくるものだと思います。

でも同時に、歳を重ねたからこそ、その場の空気を読んで合わせることも上手くなってしまいます。

いわゆる「長いものには巻かれろ」という感覚でしょうか。

本当は、

「どうしてこのやり方なんですか?」
「その根拠は何ですか?」

と聞きたい場面もあります。

でも実際には、その場の流れに合わせて動いてしまうことが多い。
小出しに質問することはあっても、根本的なやり方について意義を問える空気ではないこともあります。


病院系施設との大きな違い

以前働いていたのは、病院経営の有料老人ホームでした。

そのため、処置物品の管理や利用者さんの状態の捉え方も、かなり医療寄りの考え方がベースにありました。

当時は、病院文化の厳格さを少し煩わしく感じていたこともあります。
委員会や研究発表などには、正直あまり関わりたくないと思っていました。

でも今の職場に来て、その環境がどれだけ恵まれていたのかを実感することもあります。


感染予防より「利用者さんのお財布」

前の職場では、施設の消耗物品は基本的に会社負担でした。

使い捨て手袋、処置用エプロン、マスク、ティッシュなどです。

ところが今の職場では、それらの多くが利用者さんが用意する物品です。

そのため、ケアの場面でも
「これは利用者さんのお金で買ったもの」
という意識が常につきまといます。

例えば、

・陰部洗浄のあと、仙骨部に素手でワセリンを塗る
・ポータブルトイレの処理を片手だけ手袋で行う
・軽介助のトイレ介助も素手で行う

私にとっては、かなり衝撃的な光景でした。

感染予防という看護の基本が、「生活の場だから」という言葉や、利用者さんの経済的負担を考えるという理由で、後回しになっているように感じることがあります。


吸引か、代用ケアか

もう一つ、心を痛めていることがあります。

痰が多く、入院中は24時間吸引が必要だった利用者さんがいました。

ところが施設に戻ってからは、吸引はほとんど行われず、
スポンジブラシで舌の奥を刺激して咳を誘発し、口腔内に出てきた痰を拭い取る方法が推奨されています。

理由は
「吸引は本人も苦しいから」
というものです。

確かに吸引は苦しいケアです。

でも、喉の奥に痰が残ったままで本当に大丈夫なのか。
実際に吸引すると、それなりの量が引けることもあります。

私がこれまで働いてきた職場の感覚では、ここまで痰の多い利用者さんを
夜間、吸引のできない介護士1人で40人以上を見る体制で対応するのは難しいと判断されるケースだと思います。

けれど、ここではそれが通常のやり方です。


「普通」が変わってしまう怖さ

働き始めて3か月。

最初の強い拒絶感は、少し薄れてきました。

でも今は、別の不安があります。

この環境に慣れてしまい、
自分の判断基準そのものが変わってしまうのではないかという不安です。

「これは吸引が必要だ」と感じる肌感覚。
看護としてのアセスメントの軸。

そうしたものが少しずつ鈍ってしまい、
最終的には看護師として使い物にならなくなるのではないか

そんな危機感を感じることもあります。

現実には、生活のために今の職場で働いていますが。


小さな違和感の積み重ね

他にも、「なんでだろう?」と感じることはたくさんあります。

その場では「まぁ小さいことだし」と合わせてしまうことも多いのですが、
塵も積もれば山となるという感じです。

今はまだ、その違和感を違和感として感じ取ることができています。

この感覚を失わないためにも、こうしてブログに書き残しておこうと思います。


※この記事は、特定の施設を批判する意図ではなく、あくまで一看護師として現場で感じた個人的な体験や考えを書いたものです。

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