退職の意思を伝えたあとに生まれた揺れ
退職の意思を看護部長に伝えました。
……そのはずだったのに、あの日から、私の心はずっと揺れ続けています。
最初の感情は、怒りに近いものでした。
「最初に希望した日程で退職するに決まってるだろう」
そんな、どこか突っぱねるような気持ち。
でも、少し時間が経つと、その感情は変わっていきました。
体と心に生まれた“余裕”と、そこからの迷い
今は、夜勤中心のシフトに調整してもらい、心身ともに少し余裕ができています。
この「余裕」が、逆に迷いを生んだのかもしれません。
ふとした瞬間、こんな考えが浮かびました。
「……これ、残るのもアリじゃない? 最低限働いて、もらうものはもらえば良くない?」
そう考える自分に、ちょっと驚きました。
現実的な選択に惹かれながら、自分に問いかける
たとえば…
- 有給を計画的に使いながら
- 週4勤務で来年3月まで働けて
- 夜勤のみで、日中の混乱からも離れられるなら?
そんなふうに働けるなら、心身の負担も少なく、職場にも迷惑をかけずに済む。
「これはWin-Winじゃない?」
そう思った自分に、今では少し微笑んでしまいます。
「静かな退職」という言葉に出会って
そんな中、ある言葉に出会いました。
静かな退職(Quiet Quitting)
これは、表面的には職場に残っていても、
「最低限の業務だけをこなす働き方」を指す言葉です。
背景には、燃え尽きや職場への失望、心の限界などがあります。
そして気づいたんです。
――あれ?
私、もしかしてこれをしようとしてるのでは?と。
社会でも注目されている「静かな退職」
最近の調査では、日本国内で約45%のフルタイム労働者が「静かな退職(Quiet Quitting)」に当てはまると感じており、
特に20代では**約47%**にのぼるという結果も出ています。
「静かな退職」とは、職務をまっとうしながらも、残業や過剰な努力を控える働き方とされています。
一方でこれは、**心理的なバランスを取る手段として肯定的に語られることもあり、
働きすぎを防ぐための“自己防衛の手段”**として捉えられることもあります。
このように、自分らしさや心の余裕を守る働き方は、
一部の人に限った特別なものではなく、誰もが人生の中で向き合うかもしれない選択肢なのかもしれません。
周囲の目と、自分の誠実さのはざまで
もちろん、自分を守ることは大切です。
でも同時に、こうも思いました。
「辞める人が、楽なシフトで長く居座ってる」
……そう思われたら、どうだろう?
私の働き方が、誰かのモチベーションを下げてしまうかもしれない。
そう考えたとき、ふと足が止まりました。
「迷い」は、自分と向き合っている証
今も、まだ迷いがあります。
でも、これは「自分の未来に誠実でいたい」と思っている証拠でもあります。
あと数日で、再び看護部長と話し合う予定です。
それまでに、自分の気持ちを少しずつ整えていきたいと思っています。
これからの人生を、どう生きていくか
今回の悩みは、今までの転職とは少し違います。
年齢のこと、家族のこと、
そして、これからの自分の暮らしのこと——
「どう生きたいか」を考える時間が、少しずつ増えています。
自由でいたい。
でも、自由には覚悟もいる。
そのことを、ようやく実感してきました。
「私らしい働き方」って、なんだろう?
この数ヶ月、揺れ続けた自分を否定はしません。
これは、誰にでもある自然な葛藤だと思うからです。
だからこそ、最後には「自分で決めて、自分の責任で生きていく」。
その覚悟を持ちたいと思います。
そして、こんなふうにも思っています
たぶん、気持ちがゆったりしているとき、
私らしい考えが、ぽつりと浮かんでくる。
そして思うのです。
たぶん、私は幸せになれる。
私という精神が、きっとこれからも生きていく。
根拠なんてなくても、
これまでの自分の歩みが、そう教えてくれている気がします。
そして、もしあなたが今、少しでも立ち止まっているのなら——
きっと、あなたも幸せになれる。
私はそう信じています。
あなたは、どう感じましたか?
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
もしあなたも、似たような迷いや選択を経験されたことがあれば、
あなたなりの考えや気持ちを、そっと教えてください。
ひとりで抱えるには、人生は少しだけ、重たいときがあるから。
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